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彦根について④

 

京都に出てからのことは書こうとは思わない。私は少しずつ幸福になろうとしていて、そして幸福について語ることほど愚かなことはない。

18才から必死に生きて、30才の射程圏にまで入った。しかしまだ結末は迎えていない。私はまだ幸福も不幸も手にしてはいない。

そのはじめ、私は自分を変えたい、変えなければいけないという欲望に突き動かされていた。変えることができたこと、結局は変えることができなかったことがある。別に変わらなくてもよいのだと受け入れられたことと、そうではないことがある。年月を経て、初発の欲望は薄れていった。それは自分自身と折り合いをつけることができるようになってきたということなのだろうと思う。

しかし、現在の自分に、自分の人生に満足しているのかと言われればそうではない。幸福を手にするためには、まだもう少し必死に生き続けなければならないのだと思っている。

私は何を求めて必死に生きてきたのだろうか?私の記憶には片方に手に入れたものがあり、もう片方に叶わなかったことがある。しかし私は結局何を求めているのだろうか?そう思うと恋人に優しく抱きしめてもらったことを思い出す。胸にうずくまったときの恋人の柔らかさと温もりを思い出す。私はあの優しい世界を求めているのだと気づく。私はあの優しい世界を求めているのだ。優しい世界を手に入れるために私は必死に生きている。この厳しい世界で生きている。

 

私は18才から今に至るまで彦根と京都を行ったり来たりしている。

当初は彦根から抜け出したくて仕方なかったが、実際に抜け出して距離を置いてみると、生まれ育った土地に愛着を感じてもいることに気づく。帰省したときにはいつも彦根城の水堀に沿って散歩をする。彦根城下の光景は相変わらず美しく、静かで、空気は澄んでいる。天守閣と櫓、積み上げられた石垣、松と柳の木、水堀とそこに浮かぶ白鳥たち、木と水の湿っぽい匂い、木の葉の揺れ、カラスの鳴き声、微かな車の騒音…。深い呼吸をして私はそれらを感じ取る。それらは私に心の底からの安心感を与えてくれる。私は少し優しくなることができる。

それでもやはり彦根の街が息苦しいことに変わりはない。許せることが多くなったとは言え、彦根に留まりつづけると実家や昔の友達や嫌な記憶から逃れたくなってくる。そうして私はまた京都へ出る。彦根は私にとって安らぎと息苦しさの街なのである。

 

では京都に馴染めているのかというとそうではない。京都は狭いのにいつでも人が流入してごった返しているし、車はたいてい渋滞している。市バスの排ガスが街中に充満しているのか空気は汚れている。夏はコンクリートとエアコンの排熱のせいで不自然に暑く、冬は底冷えする。京都に住んでいて快適だと思ったことは一度もない。

そのうえ、京都では私は何者でもない孤独な一人の人間に過ぎない。京都で、あるいは他の街でもよいのだが、生まれた土地から離れて都会で意味のある何者かになろうとするのなら、自分自身の才能と努力で身を立てるほかない。それは辛くて孤独な闘いである。険しくて困難な闘いである。それでも闘い続けなければ生きる意味がないと言うのは簡単だが、ふとした瞬間に寂しくなることは否定しようがない。彦根の街は息苦しいが、しかし少なくとも私が匿名の代替可能な透明人間であることはない。京都に居ると、時々誰にも本当には求められていないことに怖くなる。不安になると、怖くなると彦根に帰る。そして彦根の街を歩き、自分自身の存在を確かめなおす。そうすると自分が自分の人生をどのように歩んできて、これからどのように歩もうとしていたのかを自然と思い出すことができる。自分自身が今立っている場所を確認することができる。一通り歩いて、私はまた京都へ戻る。

 

そういうわけで私はもう10年以上彦根と京都を往復し続けている。彦根に居れば京都に憧れ、京都に居れば彦根が懐かしくなる。どちらの街にも根付くことができず、根無し草となってふらふらと街を漂っている。

私は自分の居場所を見つけることができるだろうか?おそらく街に根付くことができないのは、自分自身の人生がまだ道半ばであることが具体的な形となって表現されているのに過ぎない。自分の生が意味ある地点に辿り着くことができたとき、私は自然と土地に根を張ることができるようになるだろうと思っている。それが彦根なのか、京都なのか、その他の街なのか今は分からないけれど。

それが明らかになるまでは生き続けるほかない。